高岡銅器
【歴史と発展】
高岡銅器は、慶長16年(1611年)に、加賀藩主前田利長公が高岡城を築城した際に
現在の金屋町に鋳物師を大阪より招聘し、工房を開かせたことに始まります。
以後、400年間にわたり、鋳物産業は代々受け継がれ、鋳造、研磨、着色、象嵌など
それぞれの製造過程において高い技術を持つ工房がどんどん増えていきました。
生み出される製品の完成度は高く、明治期にはパリ万国博覧会で世界に名を高め、
「金工は高岡」といわれるほど銅器の産地としての認知度は高まりました。
【高岡銅器のいま】
今日でも美術銅器のシェアは9割近くを高岡で製作された品が占めています。
全国的に技術者が少なくなっている伝統産業でありながらも、高岡市では鋳物の街
として銅器と関連産業を奨励してきました。
この地での鋳造と仕上げの技術は他の産地に類を見ないもので、日本の手仕事として
これからも大切に受け継がれてゆくべきものでしょう。